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東方館開館当初、道場生がなかなか増えず館長と毎日夜中まで話し合っていました。テレビのCMは??悪い奴を捕まえてニュースに出て東方館を語る?? そんなアホみたいな案を出してはボツ出してはボツの繰り返しで、当時2年ほどは10数名で稽古をしていました。そんな苦しい時でも私と館長の夢は巣立った弟子達が毎日たくさん来てくれるような道場に・・・と 当時を思えば物凄い大きな夢だったと思います笑
大会に出てもすぐに負け お昼の弁当までの長いこと長いこと笑 でも試合前のアップや声出しは一流道場並みでした泣 喫煙所でも後から教えて頂いたのですが他道場の保護者が『一回戦東方館やラッキーー』というような言葉を何度も聴いたそうです。『いつか見てろよー』と心の中で叫んだそうですが・・そんな『いつか』なんて一向に来ませんでした泣 滋賀の大会でこんな屈辱的なこともありました。当時のメンバー 西田 西山 加茂田 中井 千々和 (後に全員京都を代表する選手になるのですが・・)二回戦で滋賀一番のチームと当たり先鋒~副将まで秒殺完敗 大将戦では敵の監督が技を指示し他の技をかけようとする子供に『それはダメや、背負いや!』と その子は簡単に背負いで一本を取りました泣 この時は本当に悲しくなりましたが、今思えば当時は正座や受け身ばかりで柔道を教えてませんから勝てるわけ無いですよね。そんなときでも私と館長は『こいつらは絶対強くなりよる!なー館長』『はいそうですね!』と何処にその根拠があるのか不思議なくらいみんな強くなると思い込んでました笑 また整列の時は前に並ぶ大人の方が倍くらい多かった笑 子供5人 大人(有段者)10人が普通でした。そんな東方館も館長があの手この手を使い知名度を上げて徐々に人数も増えていきました。今では岡本先生の尽力もあり大所帯となりましたが、開館当初館長と毎晩話し合った初心を忘れずいつまでも純粋な気持ちで驕ることなく子供達 保護者の皆様と接していきたいと思います。 PR |
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